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2008年03月25日

恩師勇退

恩師勇退
小学4年生のときの担任だった先生が今春、定年退職されたので
札幌のある小学校に行って来た。
(登場するお二人にはブログにアップする許可を取り忘れたのでぼかしを入れています)
時は遡る事、36年前、私、「りむパパ少年」は10歳の小学4年生。
新学期、新しく担任になった先生は大学を出たばかりのw先生。

当時からノー天気にやっていた「りむパパ少年」はとにかくその若い先生が休み時間も汗を
ダラダラ流しながら私たちとがむしゃらに遊んでくれることが嬉しくて嬉しくてあっという間に
私の、そしてみんなの人気の先生になった。

ただし、遊んでくれるだけではなかった。

一番印象に残っているのは、クラスの生徒一人一人に最初のテストの点数を基準にして各自の
目標点数を先生が独断で決めて、「はい、お前は75点以上!」とか「お前は85点以上!」てな
具合だ。

私は最終的には75点以上だった記憶がある。
そして、もしも目標点数に行かなかったら、罰が待っている。
教壇の前にある先生の机の引き出しに3種類の太さの違った竹の棒が入れてある。
長さは20~30センチ?だったかな。その棒で頬っぺたを「べシッ」っとやられるのだ。
単純な私はそれが嫌で頑張って勉強した。そしてあるときクラスで3番の位置をキープするようになった。
そう、「りむパパ少年」は「やれば出来る子」だったのだ。
そのときに培った「やれば出来る」は後々まで私について回っている、ただ、「やれば出来るから、普段はやらない…」
その勘違いした精神で現在まで生きてきてしまった。いまだに私は「やれば出来る子」なのだ(笑)やればね。
そう、いまだにやってないのだ、じゃぁいつやるんだって聞かれても、「やれば出来るんです」と答えるのだ。

ただ、このことだけを取り上げると、体罰じゃないか、と思われるかもしれないが、当時はみんな納得していた?
いや、納得はしていなかったかもしれないが、それだけ先生は誠心誠意私たちと真剣に遊んでくれたし、真剣に
勉強を教えてくれた。だから問題にもならなかったし親たちからも苦情も出なかった。昔の話だ。逆に今の子供たちは
かわいそうだ、先生も生徒も手かせ足かせがあって。

W先生は校長先生として勤め上げて定年退職されたわけだが、今回、校長室に長い時間お邪魔して、私と今回一緒に
来てくれた同級生のJ子ちゃんに、私たちが卒業してからのことや札幌に来て教頭時代の苦労話や校長になって、ご自身の
理念通りに理想の学校に近づけてきた話もしてくた。W先生のパワフルさは変わってないな~と嬉しい気持ちでうなずいた。

話が4年生当時の話になったとき、クラスでかなり悪質なイジメがあったときの話になった。
ある一人のNという悪ガキが数人の子分のようなやつらと一人の女の子をいじめていた、私たちみんなが、どうしていじめられているのかを聞いても、理由をみんなに言うとNにまたさらにいじめられるのが怖くて彼女は言ってくれなかった。
でも、とうとう先生にだけはいじめられている理由を言ったのだ。そして、いまでも不思議だが先生はクラスで一番体がデカかった「りむパパ少年」に奴を校庭の裏に呼んで決闘しろと言うのだ。言われた私ははっきりした理由も分からずにNと闘うことに…
しかし、Nは私からしたらチビでその場は投げ飛ばしてNが泣いて終わった。いじめも終わった。(その後、Nは下級生をいじめて
また問題になったらしい)
今は笑い話だが、当時は真剣だった。そしてそんなコトが許される時代だった。

W先生とは生まれて初めてキャンプに連れて行ってもらった。(記憶はすっかり薄れていて同行したJ子ちゃんが一緒だったことも忘れていた)ただ、現在の「りむパパ」のルーツと言っても過言ではないかも?しれない、アウトドア好きの精神はこのときにすりこまれたのは間違いないだろう。たぶん…

休みの日にはW先生の下宿の部屋に何人かで掃除に行ったり、今回分かった事だが、J子ちゃんなんかは町のパチンコ屋さん
に連れて行ってもらったそうだ。 ホント、ハチャメチャな先生だ(笑) 今はもう、時効だ。
それと、時効と言えば、当時、「りむパパ少年」は、J子ちゃんに淡い恋心を抱いていたのは消そうとしても消せない私の大切な思い出だ。
好きだったなぁ~

恩師勇退
長居するつもりはなかったが、話に花が咲いて、ついつい時間の過ぎるのを忘れて、ついにW先生が出前をとってくれた。

私はこの蕎麦の味を一生忘れないだろう。笑ったW先生のメガネの奥の糸のような目も…

退職後は長年の夢だったキャンピングカーでの日本全国、奥様と気まま旅に出るそうだ。

タイトルには「勇退」と書きました、意味を調べると「潔く官職をやめること。後進に道を開くために進んで職をしりぞくこと」
あの元気を見ると引退ではなくてやはり「勇退」
その元気を、これからの第2の人生にどんどん使ってください。



これまでW先生に教わった生徒は沢山沢山居るだろう。

みんなきっと私と同じ気持ち


長い間、ご苦労様でした。

そしてありがとうございました。



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Posted by rimupapa at 23:25│Comments(6)日記
この記事へのコメント
それはそれは有意義な時間を過ごされましたね。
うんうん、りむパパさんの気持ち、凄く共感します。
勇退…良い言葉ですね。

今日(既に昨日か)の昼に何処ぞの山からの写メが届かなかったので
???と思っていたのですが、こういう事情だったのですね。
Posted by masayan1101 at 2008年03月26日 01:13
いい話なんだけども。
でっ!
先生と別れてから、J子ちゃんとはどうなったのかな?
その後の話が聞きたい。
Posted by サンライズ at 2008年03月26日 09:01
いい話ですね。
自分にも忘れる事ができない先生が二人居ます。
あの先生に出会わなければ今の自分は居なかったと思います。
でも、なかなか連絡できないんですけどね。

今の教育の現場はホント手かせ足かせですよね。
marukon氏と僕は中学時代、毎日のようにゲンコツをもらっていました。
悪さをしたらゲンコツをもらう。
そのぐらい認めても良いのにと思います。
Posted by ottoberry at 2008年03月26日 18:49
:-)masayan1101さんへ

私のつたない文章で共感していただいて嬉し
いです。
先生の前では小学生に戻った自分がいまし
た。
考えると、人とのかかわりというものは子供
のときからずっと影響されてくるものなんで
すね。








:-)サンライズ さんへ

私の大切な思い出をそんなヨコシマな詮索で汚すのはヤメテください!え?冗談ですか?すいません、冗談は通じませんでした(笑)







:-)ottoberryさんへ

きっと皆さん、多かれ少なかれ影響を受けた
先生って居ますよね。
ottoberryさんも二人の先生が居るんです
ね。
ぜひ、連絡を取ってみてください!自分も嬉
しいですが、先生も喜ぶと思いますよ。
Posted by りむパパ at 2008年03月26日 21:16
りむパパさんの原点ここにあり!って感じですね^^
先生も、りむパパさんが訪ねて、昔話に花が咲き...
そして、立派な大人に成長されたのを見て
嬉しかったのではないでしょうか?
読んでいて、こちらまで気持ちが温かくなりました。
Posted by Kanko at 2008年03月29日 11:59
:-)Kankoさんへ

今回、先生ってすごいな~って思いました。

36年前の生徒の名前の漢字をちゃんと覚え
ているのにまず驚き、そして細かいエピソー
ドもちゃんと覚えていて「あの時は悔しくて、
先生は部屋で一人で布団の中で涙を流した
んだよ~」なんて話してくれました。

私が立派な大人になったかはかなり疑問で
すが、喜んでくれたのは確かですね。

帰り際、ネットで「りむパパ」で検索してくださ
いって言ってきたから、もしかしたらこのブロ
グを見てくれるかもしれません。
Posted by りむパパ at 2008年03月29日 20:33
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